質問でわかる事

『世の中には法則がある』

 

・・・はず。

 

 

 

 

そう「仮定」して生きてきた。

 

そして、実際に共通するものは沢山あった。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の幼い頃は

人が出来るのに、私には出来ない。

そんな事ばかりだった。

 

 

 

 

 

「なんで?」

「なんで?」

「なんで?」

 

 

 

 

疑問は山ほど浮かぶ。

迷惑な子供だが、

「なんで?」は今でも私の口癖だ。

 

 

 

 

解消される事もあれば、されない事もある。

 

でも本当に重要なのは、そこじゃない。

 

 

 

 

 

「質問すれば、何でも教えてもらえわけじゃない。」

ある友人に言われた。

 

 

 

私の親は、質問すれば大抵の事は教えてくれる博識人だった。

必ずしも、全てが正しかった訳じゃないけど。

 

 

そして、彼女の親は真逆だった。

質問しても、「辞書を引け」と言われ答えはくれない親だった。

 

 

 

成長した私は、今でも何でも疑問を口にして、

彼女は、疑問を口にしない。

 

 

 

 

彼女は勘違いしている。

私は疑問を解消したいわけではない。

答えがあるなら知りたいけど。

 

 

 

私が本当に知りたいのは

この場の常識の範囲と、それとの自分のズレ。

 

 

 

私は、自分が「ズレている」事も「足りない」事も知っている。

もちろん空気が読めない事も。

 

けれど、常識が個人の集合体の平均から成り立っている事に気づいている。

 

 

 

 

常識が、多数決でなりたっているなら、

 

「正しい」事に意味はない。

 

 

 

 

常に動く「常識」に上を目指す根性も乗り切るセンス持ち合わせていない。

 

私が出来るのは、荒らさない努力だけ。

 

 

 

 

質問をしない彼女は、自分に正しさに自信を持って生きている。

常識という絶対の自信。

 

 

 

けれど、私はその「正しさ」に疑問を持っている。

なのに、それを質問出来ない。

 

 

 

間違っていないのに、スッキリしない。

彼女がちっとも幸せに見えない。

 

 

 

正直、ボキャブラリーの貧困な自分がもどかしい。

 

もしも言葉に出来たなら、彼女に聞いてみたい。

 

その正しさは、幸せにつながっているのかと。